年少から療育に通っている息子がいます。
就学に向けて動いているとき、年長になってから保育園に指摘された、というお母さんたちの話をきくことがありました。
その子たちは診断もついたようですが、わが子は診断らしい診断がついていません。
IQもグレーではありますが、知的支援級にはいけないレベルでした。
それでも確かに困りは存在しているように感じています。
ただ…保育園の運動会には問題なく参加できており、保育参観でも気になる様子は見られませんでした。
我が子よりもっと気になる子がいる中で、「私が子どもに発達障がいのラベルをはってしまったのではないか」と感じてしまうことがあります。
仕事をしながら療育に通い、年少からの3年間とても大変でした。
だけど、もっと気になる子どもたちは療育も受けずに小学校前に焦ってなんだかんだ支援につながれています。
結局我が子はなんの支援にもつながらず、通常級に進むことになりました。
私がやってきたことは間違っていたのでしょうか。
療育に行く必要のない子どもを療育に通わせ、私が子どもに「発達障がい」のラベルを貼ってしまっていたのでしょうか。
※相談文章一部改変、記事にする了承済です
ご相談いただきありがとうございます。
お仕事と両立して3年間療育機関の訓練に通ったとのこと、大変お疲れさまでした。
「発達障がい」のラベルというもの
ご相談者様の思う「発達障がいのラベル」というものは、どういった意図でしょう。
・療育機関に通っていたこと
・「支援が必要だ」と相談者様が思っていたこと
・他の子どもに気になることがもっとあると感じたこと
このあたりが「発達障がいのラベル」を貼ったと感じた要因でしょうか。
保健師として私には、「発達障がいのラベルを貼った」というふうには思えません。
必要な支援をしっかりとお子様に受けさせることができたのではないか、と考えます。
上記の3点について、いち保健師の目線から解説していきます。
療育機関に通っていたこと
年長さんになり、小学校はどの支援にもつながらず通常級への進学となった。
療育機関に通わなくてもよかったのではないか、というお話ですが、こちらは「療育機関にしっかりと通った成果」であると感じます。
療育機関とはそもそも、「発達障がいの子が行く場所」ではありません。
説明として「障害のある子どもが~」と言われることはありますが、本質はそこではなく、日常の中での困りを抱える子どもたちが、その困りを解消する練習をする、あるいはうまく付き合っていく練習をする場であるという認識です。
「支援が必要だ」と相談者様が思っていたこと
お子さんに対して、相談者様が「支援が必要な子だ」と感じていた直感は、間違っていなかったと考えます。
理由は、現に療育機関で3年間個別療育が適であると判断され、処方されていたためです。
お子さんに対して「支援が必要」な期間は確かに存在したのでしょう。
その時に適切な支援につながれたおかげで、今のお子さんの状態があると感じました。
他の子どもに気になることがもっとあると感じたこと
他のお子さんの方が気になるし、自分の子は療育に行く必要がなかったのでは…という気持ちがあるようですね。
しかし、人間の脳は10歳ごろまでに脳神経を最適化し、その後は大きく成長しないと言われています。
つまり、早期であればあるほど療育の効果は表れやすいのです。
他の気になる子たちが、これから支援につながった際、同様の効果をえられるかどうかは分からない状況です。
結果的に支援につながらずとも就学生活をおくれるほど療育の効果があらわれたのは、相談者様が一生懸命3年間療育に通われたからこそ得られたものでしょう。
まとめ
息子さんと3年間療育に通った経験は、「発達障がいのラベルを貼った」のではなく、その時期に必要な支援をきちんと届けられた大切な歩みだと私は感じました。
療育は障がい児だけの場ではなく、日常の中で困りを抱える子が成長の練習をする場所です。
早い段階で支援を受けられたからこそ、就学前に困りごとが和らぎ、通常級に進める力につながったのではないでしょうか。
その努力はしっかりと実を結んでいると思います。
そして、たとえ支援につながるのが遅くなったとしても、子どもにとって「今から始める」ことに必ず意味があります。
どのタイミングでも決して遅すぎることはありません。
これまでの時間も、これからの選択も、すべてが子どもの未来をつくる大切な一歩になることでしょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。